日曜朝8時過ぎにすでに凄い人数がボランティアセンター前に集まっていました。
ボランティアは全員こういうシールを胸に貼ってボランティアに出向きます。
小高い丘になっている日和山公園から石巻港の方の津波被害が最も酷かった一体が見下ろせます。津波の時にはこの場所に皆さん駆け上がったそうです。わかるでしょうか?一部の建物だけがなんとか残っている以外は全てなくなっています。もちろん残っている建物もいつ崩れるかわからない状態です。この場所に連れて来てくれたタクシー運転手もタクシーごと津波に流され何とか車から脱出して命拾いをした方で、その時の話を詳しく話してくれました。地震直後に自宅へ急行して家族の安否を確認し家族を高台へ逃がしたのも束の間、自身がタクシーに乗ったまま津波にのまれ、自宅と隣家の間に車両が挟まったまま何とか脱出し自宅の2階へ駆け上ったこと。雪が降る中なんとか一夜を明かしたものの、津波で全てが呑み込まれていくのを見ていたため家族は全滅だろうと思ったこと。翌日お腹まで水につかった道を瓦礫をかきわけ移動したこと。逃げのびて父親を心配した娘さんが冠水した道を泳いで探しにきてくれたこと。
前夜にタクシー会社に電話した時も野次馬と思われるのが少し怖かったけれど、どうしても自分の目で見ないといけない気がしてメンバーの人たちにもタクシー会社にもお願いをしたら、皆さん快く承諾してくれました。そして見た光景。前を見ても、横を見ても、後ろを見ても・・・同じ光景がどこまでも続いています。
TVや新聞で瓦礫の山ですって言う時、こういう光景を意味してたんですね。見渡す限り瓦礫の山。タクシー運転手は、地元のおじいちゃんおばあちゃんが戦時中の空襲の焼け野原より酷いと言っていた話もしてくれました。これが今この瞬間の石巻の現実です。